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「ふれる」は神ごと
「ふれる」は
原始的感覚を呼び覚ます
みなもとへと還る道
人の一生は
生まれた瞬間から
人の手にふれられ始まり
人のまごころにふれ
たましいは天へと昇る
「ふれる」は
森羅万象のあらはれを
わたしのまなかへと宿す旅
「ふれる」は
神聖なる祈りの道
ほときの道

ホトキノミチ 想い
- Our phylosophy -
―「所作」からはじまる、本当の癒し―
いま、世界中の癒しの現場には
無数のメソッドや手技があふれています。
私自身も、海外の技術に心を奪われ、学び続けてきました。
けれど、どこか満たされない感覚があったのです。
もっと深く、もっと静かで、
もっと“いのち”に触れるような何かが、
欠けていたのです。
辿り着いたのは、「日本」でした。
手を合わせ、頭を下げ、
雨音に耳を澄まし、土に祈るように暮らしてきた、
私たち日本人の中に息づく「所作」の文化。
それは技術ではなく、
いのちの重みを感じる“感性”の作法。
ふれる前、ふれている間、ふれ終えたその後――
その“間”を大切にする心が、
手のひらを通して、相手の魂に届く癒しを生み出します。
個人の正義を主張する力でも、
語学やスキルの多さでもなく。
自国の美しさを、自分の手で表現できること。
それが私の考えるグローバルであり、
日本人が本来持つ“誇り”なのだと思います。
だからこそ私は、この「初伝」を通して、
ふれる技術の奥にある、“祈るような手”の在り方を伝えたい。
それは、日本人が日本人として、
世界に静かに差し出せる、
最も美しく、最も深い“癒し”だから。